
公然わいせつ罪及びわいせつ物頒布罪の保護法益は社会的法益である善良な風俗である。
刑法第174条の「わいせつ」について、判例は「徒に性欲を興奮又は刺激せしめ、且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義に反するもの」
なるほど、普通人は猫の交尾見ても興奮にも刺激にもならないので大丈夫ということですね。
ネコ好きは普通人の定義に入らないと考え推測するにネコのタマはわいせつ物ではありません。
ネコ好きも、性的な興奮ではなく母性本能というかネコ好きの本能というか、ネコ好き特有の興奮しかしないからです。
そう考えると、育のタマも一夏の思い出。
消えゆく花火が美しいように、消えゆくタマもまた美しい。(たまや〜)
今のうちにコロコロしたり、写真に納めなくてはなりません。
ただ、不安な点が。以下の内容です。
わいせつという概念は、法的に定義された概念であるものの、時代と場所を超越した固定的な概念ではない[4]。何がわいせつであるか否かは、その時代、社会、文化に対応した一般人の性に関する規範意識を根底に置きながら、社会通念によって相対化され、これに対して具体的に判断されるものである。
わいせつ物の定義は時代によって変わるそうです。深い。
いつか、ネコ革命が起きてネコの裸体に興奮する輩が増えてしまい、社会問題に発展したら規制されてしまうのだろうか。
私が育のタマを芸術品として写真を保有すること自体禁止される時代がくるのだろうか。
と思い、さらに読み進めていくとこんな一説が。
表現の自由との関係
わいせつ的表現と日本国憲法第21条で保障される表現の自由との関係については学説上も争いがあり、未だに定説がない。
わいせつ - Wikipedia
そう、表現の自由。
この世にネコ革命が起きてネコの裸体やタマがわいせつ物になり、私がネコのタマ専門の写真家として活動することが問題になっても表現の自由が憲法で定められているため、犯罪者になってしまうかどうかはわかりません。
私はネコのタマを一つの作品としてみています。コロコロしてるし、毛皮に包まれてるし、こんなに可愛いものがあるのかと。イヤホンジャックにして私のiPhoneにつけておきたいくらい可愛い。
と、ろくでなし子さんも思ったのかもしれない。そう思ったのでした。
では、本日はむーのタマなしの写真で締めたいと思います。
